燕市ってどんなとこ?
日本有数のモノづくりのまちと言われる燕市。
あなたはどれくらい知ってますか?

燕市は2006(平成18)年、いわゆる平成の合併にて、燕市、吉田町(よしだまち)、分水町(ぶんすいまち)の3市町の合併により現在の燕市となりました。
現在もエリアとしては大きくこの3つに分かれています。
今回はまず、この燕エリアについて知っていきましょう!
地理
燕市は、日本有数の穀倉地帯として知られる越後平野のほぼ中心に位置しています。
市内には信濃川とその分流の中ノ口川(なかのくちがわ)などが流れており、街の発展と密接な関係があります。

越後平野とそこに流れる信濃川、中ノ口川がポイントなんだね!
燕エリアで有名なもの
- 世界的にも有名な金属加工
- 背脂ラーメン発祥の地

金属加工は聞いたことある!背脂ラーメンも燕市が発祥なのね。
名前の由来
江戸時代より前は「津波目」と表記されていました。
「津」は港、「波」は波頭、「目」は中心地を意味し、流域の港の中で最も栄えた中心地という由来があります。
港といっても漁港ではなく、米の集積地として水運の中継基地として栄えたようです。
また伝説として、中ノ口川の上流から祠が流れ着きそれを祀ったのが戸隠神社の起源とされており、その祠を守るように燕が群れていたから燕の村と呼ばれるようになったという説もありますが、明確な時期や由来は分かっていません。
※諸説あり

名前の由来って本当に面白い!
近辺の情報
このあたりは燕エリアの井土巻(いどまき)という地名。
古くは井土巻村という小さな農村でしたが、近年は燕三条駅や三条燕インターチェンジなどが交わる交通の要所という立地からビジネスホテル、ショッピングモール、マンションが林立し、都市化が著しいエリアとなってます。

色んなお店がたくさん!お買い物したくなっちゃう
新幹線の駅名は燕三条駅、高速のインターチェンジ名は三条燕IC。
なのに、燕市と三条市が分かれているのはなぜ?と思ったことはありませんか。
実はこれには古い歴史があります。
江戸時代から、燕は職人の町、三条は商人の町と言われていました。
ともに金属加工業で栄えた町で相互補完の関係にありましたが、同時にライバル意識も持っていたそうです。
さきほどの駅名とインターチェンジ名に関しても、どちらを先にするかは論争が収まらず、結局、田中角栄氏が仲裁に入ってようやく現在の名称に決着したという経緯があります。
時は経ち、2000年代の市町村合併、いわゆる平成の合併時に燕市と三条市も合併し「燕三条市」にしようとする動きもありました。しかし燕市の住民投票により僅差で反対が上回り、現在の形になっています。
ただ住民達の仲が悪いわけではなく、燕市から三条市の会社へ通勤したり、その逆もあったりで地元の交流は普通に行われています。お互いに支え合って発展し、良きライバルという関係性はこれからも続きそうです。いつか本当に合併する日が来る!?かもしれませんね。

金属加工で世界的なエリアとなった燕三条エリア。今後の発展も楽しみ!